今、目の前の苦しみだけが人生じゃありません。
五分四十八秒で一生を振り返って、
あの時ああしておけばよかった、
っていうのは取り返しがつきません。
鉄拳の『振り子』を是非ご覧くださいませ。
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東洋醫學の古典、『類經』に、鍼刺類九、寶命全形必先治神五虛勿近五實勿遠という篇があります。
篇名を書き下しは、
「命ヲ寶トシ、形ヲ全クスレバ、必ズ先ヅ神ヲ治ム。五虛、近ヅクコト勿レ。五實、遠ザクルコト勿レ。」
と、なります。
人間の生命力の調え方と、鍼灸治療を行うのに良い場合と善くない場合があることを述べています。
この篇は二千〜二千五百年前の古典、『素問』寶命全形論篇第二十五を注釈したものです。
この篇の第四章の一説、
【原文】「眾脈不見、眾凶弗聞、外內相得、無以形先。」
「眾脈ヲ見ズ、眾凶聞カズ、外內相ヒ得、形ヲ以テ先ンズルコト無カレ。」
【類經の注釋】
「眾脈眾凶ハ、其ノ多キヲ言フ也。
泛ク其ノ多キヲ求ムレバ、則チ其ノ要ヲ得ズ。」
人體の病の実態を把握しようとするときに、一つの手段として、体表観察があり、その中心となるものが脈診です。
眾脈の「眾」は「衆」の異体字です。
脈は人体を網羅している經絡とも言えるし、体表に触れる事の出来る動脈とも言えるでしょう。伺う場所が多く、また、一つの脈からの情報も、得ようとするとかなり多くなります。脈一つにしても、その情報を全て得たところで、その病の実態を把握する上では、必要の無いものが殆どです。
「眾凶」は、患者さんの訴える多くの病・症状ということになるでしょう。
病の原因はそれ程多くはないので、症状が多岐であっても、本質は同じである場合があります。
病の原因、病の本質を把握できれば、その他の「眾脈眾凶」は治療対象から外しても、自ずから治っていくと考えます。
「故ニ眾脈ヲ見ル者ハ、脈之眞ヲ見ズ、眾凶ヲ聞ク者ハ、凶之本ヲ聞カズ、必ズ脈ニ因テ、以テ外ニ合シ、證ニ因テ、以テ內ニ合ス。」
鍼灸師の腕の差は、この体表観察能力と、治療方法の選定能力と、鍼灸手技能力、そして予後判定によると思います。
多くの鍼灸師は最初の体表観察で躓いているでしょう。これは他の鍼灸師の批判ではありません。私も含めて鍼灸師が反省する事です。
「表裏相ヒ參ヘ、庶ハ失フコト無カランコトヲ。
是レ外內相ヒ得ル也。
其ノ迹ヲ察セズシテ、其ノ迹アル所以ヲ察ス。
是レ形ヲ以テ先ンズルコト無キ也。
所謂其ノ要ヲ知ル者ハ、一言ニシテ終ル。
其ノ要ヲ知ラザレバ、流散シテ窮無シ。
其ノ義卽チ此レナリ。」
これらの文は、病を把握する事の重要性、その要を得れば治療は簡単だ、ということ、そして、その要を得なければ、永久に治療できない鍼灸師になってしまいますよ、という事。
鍼灸治療のみならず、世の中には様々な医療、又は医業類似行為が氾濫していますが、鍼灸師が本来の鍼灸師としてしっかりしていれば、本物が残り、本物が分かり、それを求めてやってくる患者さんが救われると信じたいです。
目の前にある家族が壊れていく。
否、目の前にあるほどの距離の家族が、内情が見えないために何も出来ないまま、壊れていく。
そんな経験をした人は多いんじゃ無いだろうか。
人は家族であり、家族は社会である。
人が家族としての意識と、個人の意識という人格分裂を来せば、人が社会を形成し、維持し、成長しようという発展には至らず、弱肉強食、己の維持のみを本能とする動物と何ら変わらない。
一つ一つの家族を見れば、それぞれの状況から対策があるだろう。
しかし、その状況が見えなければ、一般論で語るしか無い。
それほど、現代社会はコミュニティが崩壊しているのだ。家族を見守る両親、祖父母が、本来の縦軸の求心力となる役割を果たしていない。
目の前の家族の崩壊を食い止めるため、良かれと思って介入すれば、恐らく己の人生を崩壊させるだろう。
それだけの破壊力を周辺に及ぼす事を、当事者は理解していただきたい。
家族崩壊の原因は、当事者のプライドによって明らかにされる事は無い。
恐らくそれが明らかになったところで、本人は深刻な問題だと感じているとしても、外から見ればしょーも無い事だと感じるだろう。
勿論、非人道的な事、刑事事件、不貞行為などが絡めば、家族崩壊どころか、責任を取るべき者が取って、新たな形を取るしか無い。
目の前の家族に分かっていただきたい。何故、そんな事になったのか。世間から見れば最も幸せな状況なのに、何故崩壊に向かうのか。相手を責めるばかりで己を省みないのは何故か。家族が崩壊する事よりも、その状況に陥ったときに、どういう行動を取ったかで、その人間の真価が発揮され、それを見た人が判断し、世間の信、不信に繋がるのだ。
君はそれでいいのか。私は傍観しているだけでいいのか。
鍼灸院のブログなのだが、治療以前に病気を起こす人の逃れられない思考、それを目の当たりにして治療を施せない場合のどうしようも無い状態を、恐らく世間はこういう悩みが多いんだろうと思い、紹介した。
或る患者さん。
主訴は腰痛。
腰痛は一〜二回の治療で改善したので、
現在は月に一回の治療を続けている。
これだけなら、たいした症例になりません。
主訴では無いが、B型肝炎のインターフェロン療法を受けて発症した乾癬が全身にあり、それを何とかしたいと考えていました。
月一回の治療では難しいかと思っていましたが、
この春、花粉症では無いが、春になると鼻水が出る(本人談)というので、
それを踏まえた治療を施し、
一ヶ月後、乾癬を何とか出来ないかと思いながら、
来院時に診察した所、
腹部の乾癬がほぼ消失していました。
それまで考えていた乾癬の治療方針を見直さなければならない事態です。
乾癬は現代医学では原因がよく分かっていない疾患です。
東洋醫學では古典に同じ名前は出てきますが、詳細な記述は見られません。
こういった難病に東洋醫學でどう対処するかというと、
総合的に診断治療を行う為、
他の疾患と何ら変わる事はありません。
ただ、一般に難病は、複雑な病因病理を形成している為、
この乾癬の症例もこれだけでスッキリ治るかどうかは分かりません。
今後の治療経過で判断しながら、
複雑な病理を単純化し、
再発予防に努める必要があります。
花粉症撲滅運動といっても、当院で言っているだけで、
世間では花粉症が治ると知られていません。
とはいえ、他の病氣と同じように、
早く治りやすいタイプと、
治るのに時間がかかるタイプがあるのは当然です。
どんな病氣にも原因があります。
それは、花粉症に於ける花粉の存在という事ではなくて、
東洋醫學に於ける病因の考え方によります。
それを知らない多くの鍼灸師は、
花粉症が鍼灸で治る事を知らないでしょう。
どんな病気でも治りにくい原因があります。
それは、
病氣の原因が存在したまま。
病氣の原因が複数存在してこじれている。
病氣が長期化している。
病氣の勢いが強すぎる。
十分な治療が施せない。
などの理由によります。
まずはそれらを解決して、
適切な治療を施せば、必ず改善を観る事が出来ます。
その上で、花粉症の特徴を踏まえれば、
治る事は何も不思議な事ではありません。
花粉症が何故春に発症するのか。
何故人によっては、そのまま慢性鼻炎になったり、
秋に花粉症が発症するのか。
花粉症の患者の特徴、地域性とは何か。
それらを踏まえる必要があります。
鍼灸で誤解しては成らないのは、
花粉症に効くツボはないと言う事です。
先に述べた事を踏まえて、総合的に診断治療を施す為に、
その治療のバリエーションはいくつも存在します。
その上でツボを選び、鍼灸の手技を施します。
花粉症のピークのこの時期に、
治療して症状が改善しても、
症状の緩解期になって、
治療が完了しないまま中断してしまうと、
また来年の春に花粉症になることが考えられます。
更に言えば、春に発症する前の冬の内から治療を始める事が望ましいです。
何故このような当院の治療方法を明らかにしたかというと、
先に述べたような花粉症、鍼灸に対する誤解が蔓延しているからです。
このブログを読んだ方が、
「そうなんだー。」
と思っていただければ良いです。
それと、鍼灸治療は飲めば症状が治まる手軽な薬とは訳が違います。
ある条件が揃う事で病氣になるように、
条件が揃わなければ病氣は治りません。
当院ではそいうった様々な事を踏まえて、
花粉症撲滅運動に励んで参ります。